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魔導物語R  Marmaid`s wish
 
 

 底まで透き通る水晶の湖面。
 そこに水面を揺らす少女が浮いていた。
 青と緑に輝く湖面の上。
 涼やかな青の髪を揺らめかせながら、少女が浮いていた。
 やや目尻を下げた瞳は大きくつぶら。
 布に覆われた胸部は充分に自己主張を成功させ、顔とそこだけが水面から浮き出ている。
 だが、下半身を見るとそこにあるのは髪の色とよく似た尾。
 それは大きな尾ひれ。
 うろこさかなびと。
 モンスターの一種である。
 だが、その少女はモンスターと言うにはあまりにも純粋な瞳と細い身体だった。
「……」
 ぼうっと呆けていたうろこさかなびとの少女、セリリは不意に深呼吸すると身体をひねり、ばちゃりと乾きかけていた身体の正面を一回転させて水に浸す。
 くるりと回ってもう一度水面に顔を出すと、その表情は水に濡れる事で艶やかに色味を増していた。
「は…」
 瞳を閉じたままの短い溜息。
 水に濡れ、艶を増したピンク色の唇から吐息が流れる。
 セリリは思い出していた。
 一人の青年との出会い、それからの自分を。

「私をいじめに来たのねっ!」
「あ?」
「そうよ、私をいじめにこんな所まで来たんだわ! 私、私、何にもしていないのに…こんな所まで逃げたのに追いかけるなんて…ひどい、ひどい…」
「……」
 シェゾはいわゆる、目が点になるを実践していた。
「どうしてみんな私をいじめ…」「お前がここのボスだろうがっ!」
 シェゾの怒声にセリリは縮みあがる。
 ドスのきいた声に恐怖が膨張する。
 あまりの怯えに涙も止まってしまい、失神寸前でその身を硬直させるセリリ。
 寸劇が行われているこの場所は、とある阿呆が作り上げたアトラクションとは名ばかりの危険極まりないダンジョン。
 シェゾはウォーターパラダイスと呼ばれるその塔最上部で彼女に出会った。
「…ふ…う…うぁあ…ん」
 少しの停滞の後。
 シェゾが一応危害を加えない様だとその気から感じたのか、セリリは恐怖に精神を押しつぶされ、子供の様にぐずぐずに泣き出した。
「……」
 シェゾは暫くの間、セリリが浮かぶ巨大な岩のプールの縁に座って彼女が泣きやむのを待ち続けた。
「…ぐす」
 ようやく嗚咽が止み、泣きはらした瞳のセリリがおそるおそるシェゾを上目遣いにちらちらとのぞき込む。
 シェゾがそれに対して目配せしただけでセリリは波が立つ程に怯え、竦んだが、逃げはしなかった。
 恐怖のみと思っていた対象に、ようやくそれ以外の何かを感じ取ったらしい。
 シェゾはやっと話が出来る、と溜息を漏らした。
「とりあえず、俺の邪魔をしないならお前をどうこうする気は無い…って言うかとても出来ん。だから、何でお前みたいなのがここに居るのか、話してみろ。何なら、見逃してやる」
「わ、私…お友達が欲しかったんです…」
 答は意外だった。
「ここに来るのは普通、お前を倒そうとやって来る奴ばかりだと思うが?」
「わ、私が…ここを、守ったら…オーブを守ったら…お友達になってくださるって、あの人が…それで…」
「…奴の事か」
 シェゾは大きく溜息を付いた。
 このアトラクション(とは名ばかりの魔屈)に来てからの、今までの行動で黒幕は分かっている。
 そしてその間抜けな牛角の黒幕があの忌々しい本当の敵にいいようにあしらわれているのであろう事も。
「あのな」
 シェゾは子供に言い聞かせる様にして語りかける。
「は、はい」
「友達ってのは、条件でなるもんじゃないだろ」
「…そ、そうなんですか?」
「そうなんだよ。少なくとも、友達と呼び合える連中ってのはな」
「お友達って、お願いしてなってもらうものでは…ないんですか?」
「最初はま、お願いって言うか友達になろうとかって言う、きっかけはどっちかが出すだろうな。だが、その後に条件なんざ無い筈だ。友達ってのは義務でも義理でも、特に損得勘定でなるもんじゃないだろ。そりゃ、仕事だ」
「…!」
「特に、友達になってほしけりゃ他人と戦えなんざ、友達になる奴の言う科白じゃない。解れよ」
「…でも、私は…私なんか、そうでもしないと…あとはいじめられるだけで…でも、独りは、やっぱり嫌で…それで…誰か、私をいじめないでくれる人が…欲しくて…」
 語尾に涙声が混じる。
 小さく俯き震える肩は、悲劇のヒロイン気取りで酔っているピエロとは似ても似つかぬ悲壮さを漂わせる。
 本当の寂しさを心に刻み込んだ者だけが持つ負の感情がにじみ出していた。
 モンスター。
 下手に心を持つ故の、この儚げな人魚の苦しみは如何ほどのものなのだろうか。
「……」
 哀れというか何というか…。
 シェゾは同情を通り越した何か別の感情を感じ始めていた。
「誰かと友達になる。それにきっかけは必要だろう。だが、きっかけに条件は必要ない。必要なのは、お前の言葉だけだ」
 自分で、自分の言っている言葉が不思議だった。
 そもそも自分自身が友達など必要としていない。
 それなのに、さも友達の作り方を心得ている様な事を話しているのだから。
「……」
 セリリは先程までの怯えも忘れ、シェゾの話に聞き入っていた。
「あの…」
「ん」
「どうして、こんな私なんかに、そんな風にお話してくださるんですか? 私、こうやって誰かとずっとお話しした事だって、知っている仲間とすら滅多にないのに…。それなのに、さっき初めて会ったあなたと、こんなに長く…」
「長い方なのか? これが」
 その問いに、セリリは申し訳なさそうに頷いた。
 ますますその肩身が小さく見える。
「やれやれ」
 そんなシェゾをじっと見詰めるセリリ。
 その頬は僅かに紅をさしていた。
 落ち着いた事で、彼の顔を冷静に判断できるようになったのだろう。
 鋭く端正な表情は、少女の心を揺らすに充分だった。
「あの…」
「ん」
「あ、あなたは…」
「シェゾだ」
「は、はい。シェゾさんは…ここに、私をいじめに来たんじゃ、ないんですよね…?」
「いじめには来てない。ただ、お前にっつーか、オーブに用がある」
「…私が…持ってます」
「だよな」
 セリリはシェゾの顔を見上げながら、何かもじもじと口を開きかけては閉じを繰り返す。
「言いたい事があるなら言え」
「は、はい。あ、でも…これって、さっきシェゾさんが言った事と…」
「とりあえず言え」
「……」
 セリリは逆らえず、こくりと頷いた。
「オ、オーブを差し上げたら…あの…ま、また、ここに…あの、私と…会って…もらえます…か…?」
「会うだけか?」
 心を見透かされた。
 セリリは心臓を高鳴らせる。
「…本当は、あの…お…お友達に…なって…ほ、しい…です」
「俺とか? オーブを守ったら、そいつが友達にって言ったんだろ?」
「あの人より、シェゾさんの方がずっといいです」
 さらりと本音が出る。
 セリリは言ってから、自分の言葉に自分で驚いていた。
「言えるじゃないか」
「! …わ、私…」
 顔を真っ赤にして、両の手で顔を覆うセリリ。
「そう言う度胸があるなら、それくらいの駆け引きはいいだろう。悪くない条件だ」
 皮肉に聞こえたのかも知れない。
 セリリは指の間からシェゾを見詰め、情け無さそうに身を縮めて呟いた。
「でも…わ、私には、こうするしかお友達を作る方法がわからなくて…それに、わたしなんかのお友達になってくれる人なんて、どうせ…」
「『なんか』とか言うな」
「え…?」
 セリリはほんの僅かだが、自分を見る眼光を鋭くしたシェゾに怯えた。
「自分の事をなんか、とか言っているうちはまともな友達なんざ出来やしない」
「……」
「自分に自信を持てる様になるか?」
「え?」
「自分を、『自分なんか』と思わない様になれるか? それが、お前と友達になる条件だ」
「……」
 セリリは言葉の意味を飲み込めず一寸呆けていたが、その言葉の意味をようやく理解した。
「私と…私と、お友達になってくれるんですか?」
「お前次第でな」
 不思議と、シェゾは自然に笑う事が出来た。
 普段ならば相当な仏頂面が浮かび上がる場面だというのに。
「あ…」
 その微笑み。
 自覚無き女殺しの微笑みは、免疫のない少女にはあまりにも毒だ。
「どうする?」
「え!? きゃっ!?」
 思考が飛んでいたのかも知れない。
 次の瞬間、シェゾの顔が目の前に迫っていた。
「な、何をですか…?」
「オーブだ」
「あ…」
 セリリは頭を整理する為、大きく一呼吸おく。
 肺の中の空気を吐き出すと、不思議と頭の中がクリアになった気がする。
 お陰で、セリリはシェゾの顔を正面から見る事が出来た。
「オーブは、差し上げます」
「交渉成立、か」
「いえ」
 思いがけぬ返答におや、となるシェゾ。
「お友達になっていただく為の、約束です」
 セリリはどれだけ久しぶりか解らぬ、心のそこからの微笑みで笑いかけた。
「ふ…」
 シェゾもそれに応える。
「了解だ」
 シェゾはこっちに来い、と手招きする。
「はい?」
 不用意に近付いたセリリ。
 次の瞬間。
 セリリのおでこに、キスの烙印が押された。

「あの時は、本当にびっくりしました」
「いや、まさか卒倒するとは思わなかったからな」
 仰向けで草原に寝ころぶシェゾ。
「まぁ」
 セリリは隣で、寄り添う様に腰を下ろしていた。
「でも、奪われたのは本当です」
「奪ったとか言うな」
 二つの笑い声が響く。
 場所はアトラクション近くにある森の中。
 そこは魔導力によって浮遊する、小さな丘の上にある湖の畔だった。
「でも、私、変わりました。前はこんな風にお仕事さぼって湖に来るなんて無かったのに…」
 あの日以来、シェゾとセリリは時間があればこうして湖の畔で話を交わすようになっていた。
 オーブが一つでも手元にあれば、とりあえず他の連中に攻略される事はない。
 奪われた力も、結局ダンジョンで戦う事で大分取り返せており、シェゾは今回の件を長丁場に持ち込む事に決めていた。
「本当にさぼってていいのか?」
「ええ、どうせオーブはありませんし、意外にあのウォーターパラダイスの最上階に来られる人って少ないんです」
「そうか」
 シェゾは空を仰いで瞳を閉じた。
 と、同時に胸の上に重みを感じた。
「ん」
 瞳を開くと、胸の上に大きな青い物体がある。
「……」
 自分の胸に頭の自重を預け、ぎこちない手つきで胸の上に指を這わせる。
 そしてその視線はじっと自分を見詰めている。
 迷いはない、そんな視線で。
「大胆だな」
 その言葉にセリリは顔を真っ赤にしながら弁明する。
「あ、あの…こ、こういうスキンシップは大切だって、男の人はそういうのにめろめろになるんだって…聞いて…」
「誰だそりゃ」
「あの、牛さんとご一緒の青い髪の女の人で…」
「あの筋肉か」
「え?」
「いや」
 ろくな事教えやしない。
 シェゾは大きな溜息を青空に流す。
「気持ち…悪いですか?」
「人に因るな」
「私は…」
「悪くない」
 セリリの表情がぱぁっと綻ぶ。
「もう少し、こうしていても…いいですか?」
「好きなだけ」
「はい…」
 セリリは暫くの間、好きなだけシェゾの胸の上で甘える。
 顔を押しつけたり、そっと頬擦りを楽しんだり、またがる様にして抱きついたり。
 まるで子犬がじゃれつく様な愛らしいスキンシップが続く。
 シェゾも時折胸の上にのしかかる柔らかな感触を感じていた。
 不意に。
 瞼に当たっていた陽光が遮られる。
 シェゾは何となく目を開く気がせず、そのままにしておく。
 僅かな停滞の後、唇に心地よい柔らかな感触と、甘い息づかいを感じた。
「ん…」
 動きはない。
 ただ、その感触を確かめ続けるそれ。
 シェゾは瞳を開けてみた。
「!」
 それに気付いた眼前のセリリは、慌てて自分の行為を終えようとした。
 だが、その時既にシェゾの手がセリリの頭と腰を押さえつけていた。
「んぅ…ん…!」
 シェゾは自分の唇を、セリリの唇と絡める様に動かし、粘膜同士の密着を高める。
 多分、これも積極的に唇を奪えとかいらん知恵を吹き込まれたんだろうな。
「ん…んー…」
 唇を奪う行為と言うだけでも一世一代の勇気を振り絞った行為である。
 その後に、シェゾからの逆襲があるなど爪の先程も考えてなかったセリリは思考を忘れる程に驚いていた。
 唇に感じる不可思議な暖かさ、柔らかさが折り重なって刺激を流し込み、その感触はセリリの頭から羞恥を追い出し、心地よさ、いや快楽で満たし始める。
 上半身同士が密着し、押しつけられ、セリリの胸がシェゾの胸と擦れ合う。
「ふぅ…んん…」
 知らぬ感覚ではないとは言え、段違いに敏感なそれを感じていた。
 背中を押さえつける手の感触も、まるで躯全体を触られているかの様に大きく、熱く感じる。
「ん…んぅ…!」
 更に続けて、唇の中に初めて感じる異質な感触。
 それが何かを理解したその時、セリリの頭の中で最後まで抵抗していた小さな恥じらいの堰は決壊する。
 不思議と不快感のないそれ。
 それどころか自分の口の中を蹂躙する毎に体の奥底からは感じた事のない感情が溢れ出し、セリリの脳は溢れ込む快楽の感情で洪水となっていた。
「うん…ん…」
 いつしかセリリは自分から、心が思うがままに、深く、長く、更にはシェゾの口に自分から舌を差し入れ、延々とキスを交わし続けた。
 呼吸をする事すら忘れていたのかも知れない。
 目眩を覚え、シェゾの上からずるりと滑り落ちたセリリを再びシェゾが支えた。
「…はぁ…はぁ…ん…は…ぁ…」
 その言葉の通り息も絶え絶えのセリリ。
 口元からはよだれが垂れる程に脱力している。
「…シェゾさん…」
 が、それでも尚シェゾのぬくもりを求めて抱きつくセリリ。
 それは半ば本能だった。
「意外に積極的だな」
 当のシェゾは至って冷静。
「だって…こんな気持ち…はじめてで…恥ずかしいのに…止まらなくて…」
 今頃になって止めどもなく湧き出す羞恥心。
 セリリはシェゾの胸に顔を埋めた。
 どれ程の時間が経った事だろう。
 不意に、セリリが呟く。
「嬉しいんです…シェゾさんが、私と…」
「友達か?」
「はい、それも勿論あります…でも、それよりも嬉しいのは…私が、人じゃないのに、こんな風に扱ってくれた事…。シェゾさんとキス出来たのも嬉しい、それに、それと同じくらい、嬉しいのは…こうして人と変わらない、様々な事をしてくれた事なんです…」
「そうか」
「気持ちいいから、それもあります。でも、私にとってはそんな行為をしてくれた、それ自体が、嬉しいんです…」
 一言一言を噛み締める様に呟く。
 シェゾはそんなセリリの頭を撫でて小さく笑った。
「俺はそろそろ行く」
 シェゾは身体を起こし、うん、と背伸びする。
 セリリは改めて男の身体の大きさを目の当たりにする。
 自分など、二人いても巾が足りなさそうなのだから。
「はい、あの…」
「また来るさ」
「…はい」
 セリリはまばゆさを感じる程の笑みを送る。
「私、欲張りになっちゃったみたいです…」
「ん? 何か欲しいのか?」
「ないしょです」
 もう一度微笑み。
 シェゾもそれに応え、軽く手を振りその場を去った。
「これだけじゃ、我慢出来なくなったみたいです…」
 女の顔で呟くセリリ。
「尾ひれを足にする魔法薬…」
 どこかにあると聞いた事がある。
「見つけたい…ううん、見つけなくちゃ…そして、私…」
 小さく、しかし固い決意。
 セリリは変わり始めていた。

 心も、そして躰も。
 
 
  Marmaid`s wish 完
  
 
 

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