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魔導物語R AGE of ZERO



 シェゾはぼんやりと考えていた。
 考えていたと言っても、明確な議題があるわけでも答への確信があるわけでもない。
 ソファにどっかりと座る彼。
 そして、そんな彼の上に乗って雑誌を読んでいるアルル。
 そんな状況で、彼は考えていた。
 
 よく女は猫に準えられる事がある。
 その仕草、性格に対してが主だが、行動自体も確かに似ている、と思う事がある。
 特に今の季節はそうだ。
 空気が朝晩に関係なく冷えはじめ、人肌が恋しくなる季節は。
 が、実際に人肌を感じていると、今度はどうにも落ち着かない。
 厄介な感覚だ、と思いつつも、彼はそんな気分が嫌いではなかった。
 自分でも意外と思うのだが、こんな季節にはそれを強く感じる。
 確か、少し前まではこんな事を思う事は無かったのだが、と思いつつ、それを確かに感じる。
 それ自体は、別に嫌な感覚ではない。
 だが、だからと言って特にどうしたいと考える事も無いし、それに対して何かを強く感じる程己の感情を揺さぶられる彼でもない。
 
 たまたま、彼は彼女に出会った。
 それは、たまたま街に出た時に、たまたまお出かけ途中だったアルルに逢い、そのままショッピングに付き合わされ、引っ張られ、そのまま彼女の家まで荷物を持たされて行っただけだった。
 そして、アルルが荷物を持ってくれた彼をそのまま追い返す事などする訳が無い。
 アルルは蟻地獄の如き勢いで当然の様に巣の中にシェゾを引きずり込み、当然の様にシェゾを居間のソファに座らせた。
 その空間は、シェゾの家の広い居間、と言うかだだっ広い空間と比べてこぢんまりとしているが、窮屈さの無い、とても居心地の良いその場所だった。
 壁に飾られたリースから香る控えめなハーブの香りと、女性の部屋特有の甘い香りがシェゾの心を知らず知らずのうちに解きほぐす。
 ローテーブルの向こうには、赤レンガの暖炉がぱちぱちと薪の爆ぜる音をたて、暖かい炎をあげる。
 それは、太陽光とはまた違う暖かな、心地よい光を部屋に灯していた。
 
「アルル…」
 先程買ってきた雑誌を読み、時折記事に対してふんふん、と頷くアルル。
 彼女は、座っているシェゾのテーブルの前に紅茶とお茶菓子を出した。
 それまでは彼も別段どうと言う行動ではないが、その後が少々予想外だったのだ。
 何気なくソファに座っていたシェゾの腿の上にアルルは隙のない動きで完璧に陣取り、そのままの姿勢で雑誌を読み始める。
 もう動かない。
 かくして、シェゾはソファに座ったその時から今現在までその場に釘付けとなり、ぼんやりと物事を考え耽る事となっていた。
「アルル…」
 顔を横に曲げ、辛うじて紅茶を飲み終えたシェゾが呟く。
「ん? なに?」
「雑誌読みたいなら降りろ」
「なんで?」
「読みにくいだろっつうか、俺が動けん。何分黙らせる気だ」
「別にいいでしょ? 背中が冷たかったんだもん。外、寒かったし」
 そういうと、アルルは腰を深くして、ますますシェゾの胸に密着する。
「それに、黙ってなんて言ってないよ。何なら、歌ってもいいよ」
「…何故歌う」
 そういう間にも迫るアルルの頭が、丁度シェゾの顎の下に収まった。
「シェゾ、アゴ乗せないで」
「自分から収まって何ぬかす…」
 シェゾはわざとアゴを揺らして話す。
「あん…いたいよぅ」
 さほど痛そうには聞こえないが、どこか罪悪感を覚えさせるその声。
 シェゾは、アルルのその幼くまるっこい声を聞いていると、まるで自分が本当に悪い事をしている様な感覚にどうしても陥ってしまう。
 シェゾは、これこそ女の何よりの武器かも知れない、とよく思う。
「……」
 シェゾは、知るか、とばかりに溜息を吐いてアルルの頭に自分の頭の重量をかけた。
「うにゅう…」
 アルルはご勘弁、とばかりに頭の下から顔をずらした。
 自然にシェゾの顔の少し下にアルルの顔が並ぶ。
 アルルの髪の香りが鼻に近づき、シェゾの嗅覚をくすぐる。
 こうなると、彼はアルルの行動自体に抗う気を殆ど無くすのが実情。
 アルルもアルルで。
「シェゾ、もっとちゃんとだっこして」
 そういうと、アルルは本を横に放り出す。シェゾの行動を待つ間でもなく、弛緩してソファに置かれていた彼の両腕を拾い上げ、そして自分の腹部の前あたりで上手い具合に両手を交差させた。
「こうするだけでさぁ、あったかいのが結構違うから不思議だよねぇ?」
 アルルは満足そうな、どこか気怠そうな声で言う。
 聞くと、腹部の下、丁度臍の下あたりを触ってもらっていると、とても落ち着くのだという。
 そして雑誌を拾い上げると、またそれを読み始めた。
 時折あくびが混じる。
 眠たいなら寝ろ、と言ってみるも、アルルはやだ、の一言で拒否する。
 どうやら、このポジションがよほど気に入ったらしい。
 そして、シェゾは仕方無しに再びどうでも言い考えを馳せる。
 女ってのはどうしてこう、どうでもいいゴシップじみた記事が好きかね…?
 頭の向こうに見えるのは絵に描いた様な三面記事の羅列。
 彼は、真実の割合が一割も有るか無いかの記事を熱心に見るアルルを見て思う。
 世の中、ままならない事は数あるが、それでもまぁ、折れる事も出来れば、同調する事も出来るレベルの事柄は多い。
 だが、彼には、シェゾ・ウィグィィにとってはどうにも理解できない事象が一つある。
 いみじくも、アルルがそれを彼の前で話してしまう。
「…ふぅん。この女優さんって、もうこんな歳だったんだぁ…。誰もインタビューで聞こうとしなかったのに…へぇ…」
 アルルは、『久々の舞台復帰! 独占インタビュー!』と題した記事を見て、大発見したかの様に感心している。
「…つまり、『女性に年齢を聞くのは失礼』って事は、そいつは若い以外に取り柄のない奴って意味だろ」
 シェゾは、うんざりした顔で言う。
 すると、アルルは言っちゃった、と言う顔で顔をしかめた。
「…シェゾ」
「ん」
「キミ、今の言葉さぁ…ぜっっっったいに、ボク以外の女の人の前で言っちゃぁ駄目だからね。ね?」
 アルルは再び本を放ると器用に体を回転させ、腿の上のポジションはそのままで立ち膝になり、丁度シェゾの顔と同じ高さで向かい合う形をとる。
 そして、シェゾの腰の辺りを掴むとアルルは鼻と鼻がくっつきそうになる程顔をシェゾに近づけて警告する。
「何でだよ?」
「女の人にはね、言っちゃいけないコトがあるんだよ。本音も真理も飛び越えてね」
 そんな事を言うアルルのおでこは、既にシェゾのそれとくっついている。
「…離れろ」
 そういうシェゾの唇は、ぼそりと呟くだけでアルルのそれと触れた。
「約束する?」
 アルルもそれは同じ。柔らかな唇の先が、お互いのそれをかすかに刺激する。
「…質問に答えるなら、な」
 そういうシェゾの鼻腔には、先程からアルルの少女らしいほのかな、しかし刺激的な甘い香りがゆっくりと流れている。
 それに対して、シェゾはどうしてもアルルの女を、そして男である自分の体を意識してしまう。
 少々幼いとはいえ、女が自分の上にどっかりと乗りかかっているとなれば、それはいたしかたのない事。
「ま、いいでしょう。それで、ナニを聞きたいの? おねえさんに言ってみなさい?」
 ヤケに言葉尻を伸ばして話すアルル。それは当然、それだけシェゾの唇に自分のそれが触れる時間が増えると言う事。それを意識しているのは間違いなかった。
「…つまり、お前以外って事は、お前は気にしないのか?」
「ん。そうだよ」
「何故?」
「ボクは、シェゾの性格ちゃぁんと熟知しているし、それに、充分若いもん」
 そう言ってアルルはうりうり、と鼻をこすりつける。
 シェゾの腿に乗った彼女の体もそれに合わせて微妙に動き、彼の腰には心地の良い柔らかな体の感触が打ち寄せる。胸にもかすかな感触があった。
 そんなアルルを見て、シェゾはふっと笑う。
「…まぁ、若いっつうかガキっつうか…」
 そう言って、シェゾは下がっていた両手をアルルの体に回す。
 立ち膝であるのアルルの両足はシェゾの足に当然割られているので、自然と内股が開いてシェゾと密着している。
 そんなアルルの体に両手を回すと、丁度良い位置にアルルの尻があった。
 冬でもミニスカートのアルル。
 そんな彼女の尻を撫ぜるのは非常に容易い。
 アルルの臀部は、布一枚で遮られているとは言えどきめ細かでしっとりとしており、実に心地よい感触だった。
 そして、アルルはアルルで背中に走るその刺激に思わず息を呑む。
 更に、硬直するアルルのその唇をシェゾはからかう様に、しかし優しく、自分の唇とゆっくり重ねた。
 アルルはいよいよ固まる。
 あれだけ挑発したのだから期待していないとは言わないが、これだけ素直に彼が応じてくれるとも思わなかった。
 動けないのか、動きたくないのか。
 そしてシェゾは抵抗が無いのをいい事に、そのままそっとアルルの幼げな唇をなぞる。
 上唇から下唇へと、その柔らかさを十分に楽しんでから、次に甘がみする様にしてアルルの柔らかな上唇をはむ。
 アルルは怯えた様にぴくりとし、小さく声を漏らす。
 そして、シェゾは更にそのまま、スムーズに舌を口に追わせた。
 難なくアルルの舌と触れる。
「!」
 アルルは、今頃になってわっと我に返り、シェゾの膝の上から飛び退いた。
 それこそ猫の鼻をつついた時の様に。
 ほら、ガキだ。と、シェゾは笑う気だったのだが…。
 最初こそ不意打ちに驚いたアルルだが、その表情は一変する。小悪魔的な、してやったりと言う表情でアルルはシェゾを見る。
「シェ〜ゾ〜?」
 勝ち誇った様な顔のアルル。
「なんだよ…」
 予想とは逆の反応に躊躇するシェゾ。
「シェゾ〜? キミってさぁ…そんなガキにさぁ、こんな風にえっちなキスしたりぃ、ガキのおしり、えっちな感じに触ったりするんだぁ…。ふぅ〜ん」
 先程のびっくりも何処へやら、今一度ソファーに座るシェゾの腿の上に素早く乗りかかり、さっきの再現とばかりに鼻先をこすりつけてにやりとする。
「……」
 シェゾは、自分が巨大な墓穴を掘っていた事に気付いた。
「ね? そこらへんのご見解は?」
「……」
 一体何をどう答えれば良いものやら。
 彼は実に簡単に八方塞になる。
 悩み、空を見上げる最中にもアルルは勝ち誇ったかのようにうりうりと体を寄せる。
 シェゾにぺったりと体が密着し、アルルの両手がシェゾの首に回る。
「たいむおーばー」
 アルルは、シェゾ頭の位置をくっと修正すると、そのまま彼の唇を塞いだ。
 主導権を握るアルル。
 その行動に躊躇は無い。
 彼が、言葉で負けたからといって力に訴える愚者などではないと知っているから。
 アルルは、ちょっと大胆に行動する。
 自分からシェゾの唇に舌を這わせ、十分にその感触を味わってから少しずつシェゾの唇を自分の舌で割った。
「ん…」
 今や、アルルは半ば本能的にキスを楽しんでいた。
 彼のそれと触れ合う感触が掛け値なしに心地よく、何時間でも唇を重ねていたくなる。
「う…ん…」
 うっすらと頬を染めたアルルは、尚もシェゾを求める。
 空気の肌寒さが、シェゾとの肌のふれあいを、肌の暖かさを、殊更気持ちの良いものに昇格させる。
 これだけでもアルルは充分幸せな気分だったが、ふと、シェゾの両手がアルルの腰を抱きしめる。
 ぐい、と細い腰を抱き寄せ、それはそのままキスをより深いものにする。
「ふ…ぅん…」
 これだけで、既に主導権はシェゾに渡っていた。
 いつもの事だが、アルルの主導権は脆い。
 先程までの柔らかなキスが少々強いものになる。
 シェゾの舌が、アルルの口の中を隅々までゆっくりと、隙間無く陵辱する。
「……」
 アルルの頭の中が、暖かな銀色の光に包まれる。
 もう、既に彼の舌が触れていない部分は無いと言ってよいだろう。
 アルルは、かすかに残った意識でそれを思う。
 嬉しいと思いつつも、いつも心のどこかにちょっとだけ残念と言う思いもあった。もう、新しく触れてもらう部分が無いのだから。
 アルルは、空に浮いた様な気分の中でそんな贅沢な悩みを感じていた。
「…ん」
 やがて、無抵抗な唇が解放された。
「はふぅ…」
 アルルはそのままシェゾの胸に体を預ける。
「…んもぉ…」
 アルルは、シェゾの胸に顔をうずめたままぐりぐりとおでこを押し付けながらなにやら抗議する。
「何だよ」
「どうして、キスだけでボクをこんなにしちゃうのさぁ…」
「嫌か?」
「じゃないけど…けどさ…」
 アルルは幾ばくか残った腕力で、なんとかシェゾを抱きしめる。
 肩で息をしているので、シェゾの胸には吐息が熱く篭っていた。
「けど? 何だ?」
「…言わない」
「もうちょっとサービスするか?」
 シェゾはアルルのおでこにキスしながら、やさしく腰の下を撫でる。
「にゃぁ…死んじゃうよぉ…」
 嬉しそうな声で物騒な事を言われると何とも妙な感じがするが、まぁある意味死んでもおかしくないな、とも思う。
 これ以上の刺激は控える事にした。
 アルルは、それを感じ取ったかの様にして体をずらし、ソファに体を丸めて横になる。
 当然とばかりにシェゾに膝枕をしてもらいながら。
「寝るか?」
「寝ない」
「寝ろよ。今にも目が閉じそうだぜ」
「…寝たら、帰る気でしょ」
「帰らないよ」
「……」
「本当だ」
 シェゾの手が、アルルの頭を優しく撫でる。
 それは、まるで催眠効果でもあるかの如くアルルの眠気を誘う。
「…帰ったら、泣くから…」
 消え入りそうな声で呟くアルル。言葉を言い終えるのと目が閉じられるのは同時。
「…眠れ」
 素っ気ない言葉だが、アルルはそれに含まれる優しさを感じ取る。
 夢うつつの中、アルルは先程の科白の続きを思い浮かべた。
 
 …キスでこんなになったら、その先に行くのがこわいよ…。
 もうちょっとだけ余裕持たせてくれたら…ボク…言えるのに…。
 それに…。
 それに、シェゾったら、ボクがこんなになってもベッドに連れて行こうとしない…。
 そんなにお子さま?
 でも、お子さまに、こんなになっちゃうコト、しないよね…。
 …もしかして、プラトニックなのが…あ、でも、こんなコトしておいてそれもないよね。なら、なんで…。
 
 考えはぐるぐるとまわるが、メビウスの輪の如く始まりと終わりが繰り返されるだけ。
 
 …まぁ、いいかぁ。
 シェゾとのこんな時間、大好きだし…。
 ボクのこと、こうして愛してくれているし…。
 それに、ボクが求めたら、きっと受け入れてくれる…。
 うん。
 シェゾが欲しいって言ったら…。
 ボク…ちゃんと…
 
「はい…」
「ん?」
 アルルはとうの昔に夢の世界へ旅立っていた。
「寝言ね」
 シェゾは可愛い眠り姫の頬を撫で、アルルの読んでいた雑誌を捲ってみる。
 毛先程の知識にすらならないが、時間つぶしにはなる。
 暇でこそあるが、まるで不快には感じないこの空気は嫌いではない。
 シェゾも、アルルとこうしているのは好きだから。
 
「…お」
 外にそっと吹いていた冷たい風。
 彼は、その中に白い妖精が舞い降りるのを発見する。
 
 季節は、冬を迎えようとしていた。
 
 
 
 AGE of ZERO 完


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